玉川学園中学部(1960年度入学)同期会
2007年4月28日

6 懇親会3〜二次会
1 全員写真・受付 2 礼拝 3 散策 4 懇親会1 5 懇親会2 6 懇親会3〜二次会 掲示板


今回はいらっしゃれなかったが、竹が原先生が描かれた絵と聞いた。


こんなお部屋でした。


為貞くん、森田くん、古谷くん、きゅうさん


為貞くん、田口くん、古谷くん、きゅうさん


杉嶋先生のクラス


相坂先生のクラス


山脇先生のクラス


最後の挨拶は、畑中くん。彼の熱い思いが、
今回の同期会のきっかけだったとも言える



懇親会の会場から、二次会へ行く途中、
山下先生が、玉川の校歌は、いいですね。
私も幾つも作曲したし、

いろんな学校の校歌を聴くが、
こんなに、じんとくるのはないですね。
特に3番がいいと、おっしゃる。
たしかに、他の校歌にない何かを感じる。

山下先生の「山によせて」をみんなで歌えたのもよかった。
涙がこみ上げてきたと言う人も。

懐かしい人と、懐かしい先生と、
話はつきなかった。



ここからは、二次会、ちょっとくだけて…








ここから参加の桐生くん(最近、本を出したそうです)




  
  
    



  


  


  


  





今回、この会を中心になって企画してくれたのは
学園に残って、今は要職にいる石橋くん。

そして、みんなに電話をかけまくり、手紙を書きまくった、畑中くん。


畑中くんからの手紙、赤やピンクや紫の封筒が
幹事にいっぱい届いた。


二人の接点が、どこにあるのか、不思議に思っていた。

二次会の時、畑中くんが、話してくれた。

玉川には、中学部から塾があった。
遠方で、通学が無理な人のための
そこは、24時間の教育の場。

石橋くんは、九州柳川出身、当時往復に24時間かかったそうだ。
そして、畑中くんは、北海道足寄、往復が36時間。
新幹線ができる前である。

塾にいても、週末家に帰って、門限の6時に帰れる人は
かなりいる。

ところが、この二人は、遠くて家に帰るのは
長期休暇のときのみ。

12歳の子供にとって、故郷を離れての生活はやはり
厳しかったそうだ。
特に、日曜の昼間、皆が出払って、
し〜んとした部屋で、自分達だけ帰れなかった時、
よけい、寂しさがつのるのだそうだ。

そうだろう。
二人とも当時はそんなことをおくびにも出さなかったが
そこに、共通の思いがあったらしい。

畑中くんのおかあさんが、
余りにお金の請求をしてくるので
担任の福水先生に問い合わせたらしい。

すると、
「大丈夫、食べているだけです。」
と、先生から返事があったと、それは、笑い話。

塾の舎監が、坂本先生で、
クラス担任も、坂本先生になったときは、
「風邪で欠席します」と、欠席届を塾の責任者としての先生が書き、
学校で、同じ先生が検印を押したんだよ、と話す。

そこで、二人は共通の思いが芽生えたのだろう。



今回の同期会、みんなの思いが重なり合って、
いい会になった。

本当に、思い出深い中学時代を送れたのは
先生方と、仲間のおかげ。
そして、玉川にいれてくれた親にも感謝したいと思っている。



私的な感想で綴ってみたが、
最後まで、お付き合い頂き有難うございました。

使わせていただいた写真は、ほとんどが田口くんの撮影したものです。
いっぱい写っている人もあれば、少ない人もあるかと思いますが
そこのところは、ご容赦ください。

もし、いい写真がありましたら、私宛に、お送りくだされば、
ここに付け加えたいと思います。
よろしくお願いします。福岡 (旧姓 米沢

ご感想等ありましたら、掲示板を用意しました。
書き込んでいただければと、思います。